ひと昔映画日記

素人の映画雑食日記 それこそ我が映画道

ゴッドファーザー(1972)

一気に3部制覇!!と勢い込んでみたがⅡの後編で飛んでしまっていて続行不可能。。。
ということでファーストの感想のみ。

さすがにお気楽なアニメ等とは違うので、シリーズ制覇するにはそれなりの覚悟と時間が必要だったけど、お正月という良い機会を得てやっと視聴。
いやはや、いまとなっちゃ大作の代名詞みたいな映画です。
誰もが知ってる”ゴッドファーザー”ってなくらいで。
良し悪しをおいとくにしても、間違いなくアメリカ映画の歴史に残る、そして歴史を塗り替えた作品であることは疑いの余地無し。


マフィアのドンのお話ですから当然非合法、或いはすれすれのことで生計を立てている人達なんですよ。
しかしだ、だからといって単なる無法者のギャングとは違う。
日本でいうところの仁義であり任侠の世界をそこに見ることができるし、確固たるポリシーを持っていて、必要と判断すれは人を殺す事もためらいなく行うが、彼らの中に存在する掟に反することは決してしない。
というのはあくまでドンの生き方であって、実際のところは部下やら取り巻きやらは裏切ったり、騙したりとまぁ、なかなか思い通りには行かないわけだ。
そんなことはマフィアの世界に限らずどこだって同じなんだろうけど、物理的な生命の危機がかかってるところがうちらとは最大にして唯一の違いというところか。

シリーズ初作品の冒頭部分でマーロン・ブランド演じるドンの「我々は人殺しではない」という台詞があるのだが、冷静に考えて犯罪集団には違いなでしょーが。。。と思いつつ彼らの生き方に狩猟民族やネイティブ・アメリカンのような人々にみる尊い生き様のようなものを感じてしまうことも事実である。
それこそがこの映画の歴史的な意義というものだろうなー



↓※ネタばれあり

最初のシリーズは、マーロン・ブランド演じる初代から息子役アル・パチーノへの世代交代の物語。

アル・パチーノ演じる末の息子マイケルは、家業には関わらず堅気の道を歩んでいた。
本人も家業をあまりよしとは思わず、ドンもマイケルだけは巻き込みたくないと考える中、次に次に襲われていく家族を前に結果的には皮肉にもマイケルが二代目としてドンの後を継ぐことになる。

堅気のぼんぼんで世間知らずだった若い頃のマイケルから二代目として生きていく決意をして家業をついで行くまで、アル・パチーノの演技が輝いている。
もちろん、髪型や服装の違いによる演出もなされているが、それだけであの移り変わりは表現できないだろう。
彼の演じ分けがあってのことだろうし、本物の時間の経過を彼の演技の中に感じることができる。
ちびっ子なのが惜しいところだがw
いかにも高そうな椅子やソファにどっかりと腰を下ろすまではいいのだが、その後の足を組んでいる姿がどうにも不自然だった。。。
「ごめん、アルパチーノ氏」

最初の結婚の際、花嫁とのダンスシーンでのなんともいえない幸せそうで可愛らしい表情から、ドンとして采配を振るう貫禄がつきかけの凛々しい表情、はたまたトラブル続きで苦悩している時の物悲しさまで本当に魅せらた。

親父役のマーロン・ブランドもまた、なんともいえないリアリティを醸し出す。
物静かで、凝らすような表情、実際のマフィアというのも言わば非合法実業家みたいなものだろうし、単に偉そうな態度と勢いだけで見せかけのカリスマを誇示するだけの、それまでのギャング映画に見るボス像とは全く異なる本物っぽさを見事に表現している。
実際、あんな社会のトップなんて気苦労が大いに決まってるわけだから、映画で見たドン・ヴィト・コルレオーネのように気難しい人格の方が当然のように思えてくる。

そして映像もいいよね。
ヨーロッパ映画の絵に近い感じがするけどそれもと少し違う、アメリカ映画に見る華やかさとヨーロッパ映画に見る耽美で叙情的な特性を併せ持つような独特の美しさのある映像。
それがちょうどドン・ファミリーの表面上の豊かで華やかな部分と裏の赤黒い実態の部分を表現しているようにも見えた。


ただし、この映画に限った事じゃないんだけど、アメリカ映画の食事、及び料理のシーンだけは何度観ても基本的に非常に不愉快だw
「これは絶品だぜ!」とかいいながらおいしそうに食べてるけど、「んな訳ないでしょ」とっ突っ込みたくなる、、、
これだけは、どうしてもいただけない。
まぁ、しょうがないね。
文化や体質の違いもあるしね。。。

とにかく観て損はないね。
彼らの生き方や判断の基準など事の規模さえ小さくすれば日常に転がっている事だし、勉強になるところも多いように思う。

制作年:1972